富士ヒルの矛盾

ケンイチサイクル

2025年03月06日 19:14

富士ヒルに限らず

ヒルクライムレース自体が矛盾していることに

気がついていますか? 気がついていて、それでいて なお出ているなら 私もその一人ですので

いいんですが、 なんかおかしいよね? と ならずに それなりに

頑張っている方のために(おおきなおせっかいですね)

満を持して 書いていこうと 思います。


先ずは、目的と手段を履き違えています

四字熟語で本末転倒なわけです。

では、主語は何なのか?私が思うところの目的とは何なのか?ですが、それはやはりロードバイクに乗っているんだからロードレースが、第一目的としておくのが正統派だと思っています。ロードレスに出なかったとしても、ここは変えるものではないと思います。 第二目標はグランフォンドだったりブルべだったりツーリングです。 ロードレースで、好成績を収めるためにやらなくてはならないのが地道な体力つくりトレーニングです。 トレーニングの一環としてヒルクライムを頑張ってのぼると走力は著しく上がります。私もトレーニングに勤しんでおります。ヒルクライムで効率よく身体に負荷をかけて強い身体を作ること自体が、ロードバイクを早く楽に走らせるための「手段」であって、「目的」ではありません。ですから、その「手段」に安全だからかなのか?価値をつけてしまっているところに矛盾を感じます。そこに価値がつくと、富士ヒルでプラチナゴールドをとること自体が第一「目的」となってしまって、本来はただの手段であったのにいつの間にか潜在意識まで書き換えられ「目的と手段をはき違え」ていることにきがつかないというわけです。

ギターでいうと 弦の巻き取り選手権とか、左手中指のハンマリング選手権 右手なら一弦2弦のみ8小節ソロ大会なんてものは、ないわけです。練習は家の中や教室のなかで先生と特訓の一環として目的を達成するためのドリルとして一つの「手段」として、「アドリブ大会」とか言って、競い合うわけで。 本来の目的達成のための途中 なわけです。 

 さて 私が出ていくロードレースでは、(もしくは過去に出てきたJPROなどのレース)上りで上げると怒られたものです。「おい上りで上げんな。」っと。  マトリックスの選手に上りで休むんだよって教えて頂きました。
「上げる」とは、ペースのことです。ワットのことです。 上りであげずに平地と下りでスピードに乗せ、上りはペースで超えるというのがロードレースを走る上での定石の走り方なのです。そのほうが早くゴールできるし、切れる選手も少なくてすむし、AVもあがるし何よりレースが成立しやすいからなのです。 ペースというのはよくわからないと思いますが、例えば集団にもよりますがFTPの8掛け程度でしょうか。巨体の平地番長がちぎれない程度のペースです。  もちろん勝負がかかれば自由に上りでアタックして構いませんが、160kmとか200kmとかあるレースにおいて上りとは、そういう場所でした。
 その「のぼりで踏まない」走り方が身についてしまうと、簡単に脳の切り替えができずに、います。なんせ先輩に上りは踏むなわかってるだろうなっとパワハラで叩き込まれたもんだから、。。。

 っでその完全のロードレース脳ロードレース足のまま、ヒルクライムに出ると全然ふめないまま終わります。なんせ踏むな!って言われて育ったもんだから、拒否反応を起こします。私だけじゃないはず。
今日だけ手段を 目的に すり替えるんだ!  と自問自答しても、なかなかうまくいきません。 そういった練習もしてませんし。

今年も乗鞍にはエントリーします。7日ですよ。乗鞍のはがきが店に届きました。大会ともレースとも書いてありません。ただ乗鞍ヒルクライム2025とだけ書いてあるのです。とっても好感がもてます。


着順をつけるのも、タイムを争うのもわかりますが、
大きな目的を達成するための手段のひとつとして登りだけ競うのはありだと思います。 

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